Witching Hour
散策,  文化,  

歴史と伝統が息づくまち

中央区は江戸時代より日本の中心として発展してきたまち。
決して大きくない区ながらも、
江戸五街道の起点である「日本橋」
日本屈指のハイセンスな大人の街「銀座」
日本のウォール街「兜町」
食文化の中心である「築地」
さらには隅田川沿いには月島や佃など、じつに様々な顔を持っている。

今回はそんな中央区の小伝馬町から人形町の界隈をぶらぶら。
もちろん終着は名店で一献。

小伝馬町駅を地上にでると、すぐ近くに十思公園(じっしこうえん)があるので先ずはそこへ。
ここは地名にもなった伝馬町牢屋敷跡(東京都指定文化財)があり、文字通り江戸時代に囚人などを収容した施設があった場所。あの有名な吉田松陰も最後はこの伝馬町牢屋敷で死刑執行された。
公園内には処刑の合図となった石町時の鐘や、ここで処刑された松陰先生終焉之地の碑もある。
また、隣の十思スクエアには伝馬町牢屋敷展示館がある。ついでに言うと銭湯「十思湯」もある。
余談であるが、小伝馬町という地名は丁番を持たない単独町名だそうだ。

この小伝馬町界隈、秋になると東京の秋の風物詩のひとつといわれる「べったら市」の開催地。駅近くのえびす通りにある宝田恵比寿神社の門前を中心に、数百店とも言われる出店で賑わう大きな市が開かれます。江戸中期頃から続いており、徳川15代将軍慶喜も好んで食べたとか。(開催は毎年10月下旬)
ちなみにべったら市の起源は夷講へのお供えもの市。江戸中期ごろから、宝田恵比寿神社の門前で10月20日の夷講にお供えするため、前日の19日に市が立ち、魚や野菜、小宮(神棚)などが売られたのが始まり。このとき糀をべったりつけた浅漬けの大根がよく売れたので「べったら市」と呼ばれるようになりました。
べったら市

人形町方面へ大門通りを歩く。
ここの大門通りはかつて人形町にあった吉原の名残り。吉原と言えば浅草の北にあるのが有名ですが、元々は人形町に出来たのが始まりで、江戸初期の頃は海岸に近く葦が生い茂っていたことから「葦原」呼ばれ、それが縁起の良い文字をあてて「吉原」となりました。
出来た当時は僻地でしたが、幕府開府後の急速な江戸の発展に伴い、明暦の大火後、現在の地に移転しました。
牢屋敷や遊郭があったりと、この辺りはそういった場所でもあったんだですね。

大門通りを歩いていると旧銀行建物の風格を有する近代建築の「ハリオグラスビル(旧川崎貯蓄銀行富沢町支店)」があります。
(1932年竣工、2001年に登録有形文化財に登録)

大門通りを歩いていると素敵な酒店を発見。店内は既に満員だったためこの日は諦めました。

昭和的な角打ちはいかが

金座通りを渡り稲荷橋跡(元吉原堀割)を過ぎたら右へ曲がると人形町今半人形町本店がある。
今半と言えば東京における最初の近代的屠場の今里村(現在の白金台)へ仕入れにいってたことかた「今」をとって今半という屋号にしたとも言われています。これもちょっとした歴史ですね。
ちなみに金座とは、江戸時代に金貨鋳造、検定、検印をおこなった場所や組織があったことから通り名になったようです。日本銀行のサイトにも金座のことが書かれてありました。
日本銀行について

さて、今半から甘酒横丁を明治座方面へちょいと歩くと今夜の最終目的地「笹新」がある。
創業昭和45年と老舗の居酒屋。しかも隣接する酒屋が営むというがこちらは大正4年創業と歴史のある酒屋。歴史に触れた街ぶらの最後を締めるのにふさわしい酒場だろう。

暖簾をくぐると横に長いカウンター、奥には小上がりと老舗らしい店内。
旬や季節物を使った料理をメインにこの店の定番までいい感じのメニューが並ぶ。
平日だからだろうか、うるさすぎず、静かすぎない雰囲気でじつに心地いい。
店主とご常連の会話を背景音楽に良い時間が流れる。
これ以上ない至福のひとときに今夜もまた一献。

小伝馬町人形町 町ぶらマップ

また、中央区には歴史と伝統が脈々と息づいています。その文化資源を伝えるため「中央区まちかど展示館」として整備し開設しています。各展示館は小さな老舗内の伝統工芸品を飾ったショーケースや、企業のものづくりや歴史を展示したものまで様々です。
ぜひ訪ねてみてください。

WITCHING HOUR MASTER | グラフィックデザイナー | Tokyo, Japan